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2011年5/22(日)に開催された、ライフネット生命出口社長による『中国4000年の歴史セミナー』の続きです。

今回は「永楽帝の無敵艦隊」のお話。


永楽帝と鄭和艦隊(ていわかんたい)
永楽帝(えいらくてい)も簒奪者で、お兄さんではありませんが、お兄さんの長男を殺して皇帝になったので、歴史に汚名をそそごうと、めいっぱいがんばるわけです。自らモンゴルに攻め入るとかね。或いはクビライの向こうを張って海の大帝国を維持しようと思って、鄭和(ていわ)のインド洋艦隊を送り出します。そして北京に遷都をして、クビライの衣鉢を継ぐ姿勢を示します。当時の鄭和艦隊というのは諸説があるのですが、一番大きい船が大体「約2000トン以上」と言われています。「一万トン以上」という人もいますが、これはまだ論証し尽くされていない。当時の技術では1万トンの船が作れなかったという学者もいて、ただ、南京で発掘された舵の大きさからいくと8,000トンはあったという人もいて、興味のある論争が繰り広げられているのですが、最大公約数を取ると、最低でも2000トン以上ですね。運んだ兵隊は何と27,000人です。この大艦隊がインド洋に浮かんだわけですね。この2,000トン27,000人という勢いと、バスコ・ダ・ガマがインド洋に入ってきた時の勢い、150トンの船でせいぜい100人乗せていたかどうかというのを比べてみてください。当時の鄭和艦隊というのは、これはクビライの時代の最後を飾ったものですが、海においても圧倒的な軍事力を持っていて、今のアメリカの航空母艦のようなものだったことがよくわかりますね。

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2011年5/22(日)に開催された、ライフネット生命出口社長による『中国4000年の歴史セミナー』の続きです。

今回は「魏徴(ギチョウ)という人のお話」。
とても有名なお話だそうです。こういう脱線話がとても面白くてためになりました。


李世民(りせいみん)と魏徴(ギチョウ)
魏徴の話は、つとに有名ですが、知っている人、手をあげてください。(手をあげる人はいない)

唐の高祖、李淵(リエン)には魏徴というすごく賢い部下がいたんですよ。これは「人生、意気に感ず」という詩(言葉)を残した人です。

皇帝は、皇太子がボンクラというか普通だったので、魏徴を皇太子のお守役に付けるわけです。自分の長男は普通の出来だけれど、次男の李世民(りせいみん)が相当に賢いので、お父さんは皇太子のことが心配で、一番賢い部下をお守役につける。親の気持ちとして、分かりやすいでしょう?

魏徴は賢い人ですので、毎日毎日李建成という皇太子のところへ行って、「あなたが皇太子でいる間に早く弟の李世民を殺しなさい。弟はあなたの血を分けた兄弟だけれど、野望も人一倍、能力も人一倍。放っておいたらあなたが殺されますよ」というのですが、皇太子は凡庸ですから、ふんふんと聞いているだけで実行に移せないんですね。

そして、案の定、弟に殺されるわけです。有名な『玄武門の変』ですね。そうなると魏徴は最大の犯罪人でしょう?李世民にとってみれば。

当然のように、皇太子が殺された後魏徴は李世民の眼前に連れて来られます。「お前か、毎日毎日俺の兄貴に俺を殺せと悪口を言いつのったのは」と。そのとき魏徴が何と答えたのかという話が有名ですけれども、「その通りです。あなたのお兄さんがもうちょっと賢ければ、今頃あなたは死んでいて、私は左うちわでした。あなたのお兄さんが愚かだったがゆえに、私はいま罪人となって、首を切られようとしています。」と。

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2011年5/22(日)に開催された、ライフネット生命出口社長による『中国4000年の歴史セミナー』の続きです。

今回は「」。クビライの作った世界帝国のあとです。元とは対照的な、まさに暗黒時代…。日本でもなぜかクビライ(フビライ)は元寇の首謀者としてすごく残虐な悪人のように描写されていますが、そのルーツはこのあたりにあったようです。


大明 『元史』の完成
その後、中国を制した明(大明)では、1368年、建国からわずか2年間で、『元史』を完成させます。粗製乱造もいいところですね。恨み骨髄の朱子学者達が粗製乱造した歴史書ですから、この『元史』により、「モンゴルは残虐で文化を尊重しない国」というデタラメが世界に流布することになったわけですね。因みに大明の首都は南京に置かれます。

朝鮮もこのころに高麗が滅んで李氏朝鮮という形に生まれ変わるんですが、大明というのはどういう国家かと言えば、これを打ち立てた朱 元璋(しゅ げんしょう)という人は、貧農出身で、江南(こうなん)の人々の間で生まれた政権ですから、ひたすらモンゴルを憎んでいるわけです。何を憎んでいるかと言えば、モンゴルのシステムを憎んでいるわけですから、まず外国人を憎むわけです。その次は商人を憎むわけですね。なぜかというと朱 元璋から見たら、銀でどんどん商売ができるということは、中国の文物が世界に獲られてしまう、逃げていくように見えるわけですね。モンゴルは、農民ではなくて商人がベースの政権ですから。だから、商人を憎む。それから朱元璋は無学文盲でしたから、平たく言えば、インテリ階級を憎むわけですね。文化を尊重しない。そして明という国が出来た後、朱元璋は建国の功臣をどんどん粛清していきますね。文字通り文官も武官も殺しつくします。中国の長い歴史の中でも、朱元璋の作った明ほど退嬰的な政権はないと思います。まさに、暗黒時代ですね。ほとんど死刑になる人がいなかった自由なクビライの時代とは、まさに好対照です。


「靖難の変(せいなんのへん)」
有能な部下を殺しまくった末に朱元璋は死ぬわけですが、ほとんど有力な部下を殺してしまっていますから、長男の皇太子が死んで、孫の建文帝(けんぶんてい)が即位したときにはもうロクな部下は残っていないんですね。それでも、政権側は強力です。朱元璋の子どもたちが王として地方の守りについていますが、将来反旗を翻さないように、順次、取り潰していきます。そこで、北京をベースにした四男が追い込まれて決起して「靖難の変」という反乱を起こしますが、強力な政権側と死闘を繰り返した後で南京を落として、永楽帝として即位するわけですね。永楽帝というのは、明のなかでは毛色の変わった皇帝で、お父さんから北京、クビライの大都を守るように言われた人ですから、当然クビライを意識しますね。お父さんも意識するんですけれど、遥かに強く意識するのは大都を作ったクビライという偉大な皇帝ですね。

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2011年5/22(日)に開催された、ライフネット生命出口社長による『中国4000年の歴史セミナー』の続きです。

今回も「」。世界帝国はどのように滅んでいったのでしょうか…


科挙(かきょ)の廃止
世界帝国となって中国の何が変わったかと言えば、二つのことが変わります。それまでの中国の政府と言うのは、日本の内閣に例えれば、大臣が18人いればぜんぶ中国人でした。科挙を通った優秀な中国人ですね。クビライになったらどうなるかといえば、世界帝国ですから中国語しかできない大臣なんか要りませんよね。要するに英語ができなければ大臣にしないと言っているようなものですから、中国人の官僚はほぼ全員職を失います。外国人が全部大臣になります。そりゃそうですよね。ジュチウルスとかフレグウルスとか、全世界を経営しないといけないわけですから、科挙で通った中国人なんてものの役には立たないわけです。クビライにとって生涯で一番大事な南宋を回収した(南宋は1276年に滅びる)大作戦も、その最高司令官はバヤンという人ですが、クビライは、フレグウルスから来た28歳の外交官を抜擢して自分の側近にして鍛え、彼を38歳で総大将にします。クビライは、人に対する偏見が全くなく能力だけで人を判断出来る稀有な指導者です。大都を作った責任者もアラブ人ですからね。

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2011年5/22(日)に開催された、ライフネット生命出口社長による『中国4000年の歴史セミナー』の続きです。

今回は「」。個人的には、このセミナー最大の山場であったと思います。


大元ウルス テムジンがハーン位に
1206年、モンゴル部のテムジンがハーン位に登り(チンギス・ハーン)、ハーンあるいはカアンという呼称は平たく言えば皇帝ですが、モンゴル高原を支配するようになります。モンゴルは、あっという間に金を滅ぼし、それからジュチとフレグに率いられた大遠征軍が2次にわたって西方に向かって旅立ちます。この2回の遠征軍は、純粋に軍事力だけで考えれば、たぶんフランスを滅ぼして大西洋まで行けたはずなんですが、ジュチの西征軍はオゴデイ・ハーンが死に、フレグの場合はモンケ・ハーンが死んだことによって、葬儀のために夫々がモンゴルの故地に帰ることになって、西ヨーロッパは二回に渡ってラッキーにも助かるわけです。このテムジン(チンギス・ハーン)の四男のトゥルイはソルコクタニ・ベキという、チンギス・ハーンが滅ぼした一族の1人であるキリスト教徒の娘を奥さんにするわけですが、トゥルイとソルコクタニ・ベキのあいだに生まれた四人の男の子どもは、異民族同士の結婚からは優秀な子どもが生まれるという典型例になりますが、そろいもそろってめちゃくちゃに優れた四兄弟になりますね。長男がモンケ、その次がクビライ、その次がフレグ、その次がアリクブケ ― アリクブケはクビライとハーン位を争うわけですが ― ともかく、天才的な四人が生まれます。どんなに凄いかと言えば、お母さんがネストリウス派のキリスト教徒でしたが、モンケはポリグロットで原書でエウクレイデスを読んでいたと言われるほどの天才ですね。

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天才、クビライが作った世界システム
そういうグローバルな文化のなかで育ったクビライは、南宋を滅ぼし、史上空前の大帝国を創り上げます。このクビライが創り上げた世界システムは、ダレイオス1世が創り上げた世界システムに次ぐ第2の本当の意味でのグローバリゼーションで、素晴らしいシステムです。ひとことでいえば、“世界通貨であった銀をユーラシアで循環させることによって、経済によって国を維持していく”という考え方でした。

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2011年5/22(日)に開催された、ライフネット生命出口社長による『中国4000年の歴史セミナー』の続きです。

今回は「」です。


五代から宋へ~唐宋革命
さて、五代最後の周(後周)も、名君世宗の死後短期間で滅んで、宋が建国される訳ですが、この時期の政権交代は、唐宋革命と呼ばれています(唐宋変革論)。中国がいろんな意味で変化し、王朝間の不連続なレベルが高いので、唐宋「革命」だと。何が違ったかと言えば、先ず一つは江南の経済力が圧倒的に高まったことです。今までは、政治は北、経済は南という風に考えられていたとしても、実は、南北では、経済力でもそんなに大きな差はなかったのに、唐宋革命の頃からは、“江南側がGDPでは圧倒的になり、北はもうアカン”という時代が始まります。

それから、この頃から紙とか印刷とかお茶が遍く国内に行き渡るようになるんですね。それを受けて、科挙(かきょ) ― もとは“選挙”と言われていた公務員試験のことです ― が本格的に始まります。広く市民から官僚を募るということは、どういうことか。まずは、教科書や参考書がなければ試験ができませんね?皆さんは何か試験を受けるときに必ず教科書を読むでしょう?つまり、教科書が行き渡らなければ試験というのはおよそ実施できないものなのです。宋の時代に科挙が確立したということは、全国津々浦々に紙が行き渡り、教科書が十分印刷できる程度の紙と印刷が流布していたということです。これは、世界中で中国だけが実現出来たことでした。

宋の繁栄
この頃から陶磁器の生産が盛んになります。“景徳鎮(けいとくちん)”― 有名ですね。
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