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2011年5/22(日)に開催された、ライフネット生命出口社長による『中国4000年の歴史セミナー』の続きです。

今回は「五胡十六国時代」の続きです。とっても心のピュアな皇帝が登場。情を知り義を信じるだけじゃ国はまとめられないんですね。…でも同時期に二人も同じタイプの皇帝が出てきたのは単なる偶然なのか…。歴史って面白い。


310年 仏図澄(ぶっとちょう) 洛陽に
中国の北に異民族の政権が出来たわけですから、この時代に西域の方から有名なお坊さん(もちろん異民族です)がどんどん中国に入ってくるようになります。最初は仏図澄といわれている人が洛陽(らくよう)に来ますね。



351年 符健(ふけん) [前]秦 建国
351年には符健(ふけん)という名前の、中国でも極めて善良なというか、本当に良心の塊のような異民族の将軍が秦という国を建てて、華北を統一します。その勢いで中国を統一しようと思って曹操と同じように南に行って、『肥水(ひすい)の戦い』で負けたわけですね。なんで負けたかといえば、符健は、チベット族なんですけれど、中国の儒教を一所懸命勉強して、情けということを学び、降伏した中国の将軍たちを全部自分の部下にするわけですね。要するに、裏切ったり、自分に戦争を仕掛けた人は本来的には悪い人ではない、と。広い心をもって許せばきっとがんばって働いてくれると思って、ほとんど全員を許すわけです。ところが、肥水の戦いのときにそのほとんど全員が裏切って、符健は敗北するわけです。一言でいえば、超理想主義であんまり現実を見なかった珍しい皇帝です。

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2011年5/22(日)に開催された、ライフネット生命出口社長による『中国4000年の歴史セミナー』の続きです。

今回は「三国時代~五胡十六国時代」。諸葛孔明の話が出てきます。レッドクリフの金城武さんのイメージとは全然違うなぁ…。


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このセミナーの最後にご紹介した『Lightup Nippon!』。いよいよ今日(8/11)19時からです!
時間の合う方はぜひお出かけください!ustもやるそうですよ。
『東北を、日本を、花火で元気に!』
http://lightupnippon.jp/

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諸葛孔明(しょかつこうめい)の評価
ところで、三国志といえば、諸葛孔明が有名ですが、孔明のモデルは明の太祖、朱元璋(しゅげんしょう)の参謀の劉基(りゅうき)という人です。孔明という人は健気な人に見えますよね。劉備が死んでからも、先の皇帝との約束だからと魏を討って中国を統一するんだということで何度も何度も戦争に出かけますよね。それで、めちゃくちゃ立派な人だったみたいな印象が日本には広く流布しています。でもよく考えてみたら、魏という国の国力を一とすれば、呉という長江の南の国はだいたいその半分から三分の一ぐらいの国力ですね。
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2011年5/22(日)に開催された、ライフネット生命出口社長による『中国4000年の歴史セミナー』の続きです。

今回は「三国時代」。ついに三国志の曹操が出てきます。僕はこのあたりの話がとても好きでした。曹操のイメージは後からつくられたもの。本当は超優秀な君主だった…。


196年 曹操(そうそう)献帝を許に迎える
黄巾の乱に続く混乱の中で、漢の皇帝は曹操(そうそう)の根拠地である許に迎えられますが、これから曹操が中国の次の時代を担っていくことになります。要するに、三国志の時代が始まったわけです。

曹操(そうそう)は、おそらく天才始皇帝の次のレベルくらいの、中国の皇帝・政治家の中では傑出したリーダーです。詩人としても超一流ですし、もちろん、統治能力とか人格的にも超一流の人物で、たぶん曹操に比べれば、蜀(しょく)の劉備(りゅうび)とか、あるいは呉(ご)の孫権(そんけん)というのは人間のレベルでいえば、10:1くらいの格差があるかも知れませんね。ところが、これも後で話しますが、南宋(なんそう)の朱熹(しゅき)が朱子学(しゅしがく)を始めて、歴史にイデオロギーを持ち込みます。僕たちが知っている三国志というのは正史である三国志ではなくて三国志演義ですね。これは明(みん)の時代に生まれた大衆向けの物語ですが、これは朱熹の影響を受けていますので、曹操が悪玉、劉備が善玉ということになって、我々が普通に考えているように孔明(こうめい)は立派な人だ、劉備もそうだ、曹操は悪玉だという俗説ができあがってしまったのですが、それはまた明の時代にお話しをしたいと思います。

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2011年5/22(日)に開催された、ライフネット生命出口社長による『中国4000年の歴史セミナー』の続きです。

お久しぶりです。ご無沙汰してしまってすみません。
今回は「新~三国時代」。この時代にここまで文書行政が進んでいたなんて、何だか信じられませんね。


『新(しん)』建国
皇后になった王氏の孫の時代になって王莽(おうもう)という人が皇位を簒奪(さんだつ)して新という王朝をつくります。易姓革命(えきせいかくめい)には二つのパターンがありました。無能な皇帝が有能な臣下に対して「俺はまぬけで能力がない、それに引き換えお前はもの凄く賢いから、きっと良い政治を行えるだろう。頼むから皇帝になってくれ。」と依願し「いえいえ、私はその任ではありません。」と押し問答を繰り返し、「でもそれほどまでにおっしゃるのなら、私が皇帝になりましょう。」という「禅譲(ぜんじょう)」というかたちが1つです。それから文字通り、「放伐(ほうばつ)」と言って皇帝を放逐もしくは殺害してしまう、この二つの方式が易姓革命にはあると孟子は言っているわけですが、もちろん禅譲の方が好ましいわけですね。そこで、中国史上初めての禅譲劇を新の王莽がやるわけです。もちろん嘘っぱちですよ。本当は王莽が皇帝を脅して、「俺に位を譲らないと殺すぞ」、と言う一方で、みんなの前では皇帝が「王莽は有能だから、こんな立派な人はいないから皇帝になってください」、「いえいえ、とんでもございません、めっそうもございません。」、こういうことを3回くらい繰り返して、「それでは…」という茶番劇をやるわけですが、これが、宋の時代まで続く禅譲の始まりになりますね。

ところで、新王朝の評価ですが、王莽というのは少し頭のおかしな人で、儒教をひたすら信じて、『高句麗(こうくり)』という中国の北にあった国を、高いという字はけしからん、ということで『下句麗(しもくり)』と名前をなおさせた、とかめちゃくちゃなことをやったと。儒教の教科書に書いてある通りのことをやったということで、復古主義的な時代錯誤なことをやったから、新はすぐ滅んでしまったとか歴史で教えられたと思いますが、現在では少し評価が変わってきて、確かに王莽政権はあまりにも復古主義的教条的でtoo muchだったけれども、これは武帝の時代に始まった、儒教を国教にした、でも国教にしたというのは別にキリスト教の国教化と違って、あくまで建前ですね、本音は全部法家ですから、法律で国を治めて行くんだけれども、要するにファッションとして儒教の言っているように「祖先を大事にしましょう」とかそういうのを建前として立ち上げた、その必然の結果ではないか、中国の国が大きくなったので、その建前を東アジアの他の国にも押し付けようとしたのが王莽政権だったのではないかという風に言われています。要するに、前述した中華思想のいわば悪用ですね。東アジアの諸国家は中国のことをみんな勝手に偉いと思い込んでいるのだから、じゃあ、その思い込んでいる秩序道理に世界秩序を作ってやろうという考え方ですね。中国が一番で、その次に偉いのがここで、その次がここだ、という風にね。それが、後に「東アジア柵封(さくふう)体制」と言われるようになる制度です。

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