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2011年5/22(日)に開催された、ライフネット生命出口社長による『中国4000年の歴史セミナー』の続きです。

今回は「秦漢帝国」の続き。秦の始皇帝がいかに優秀であったかが良く分かります。漢が400年も続いたのは、始皇帝が秦の時代に整備した政治システムによるところが大きいんですね。


秦の滅亡~漢建国
そこで、陳勝・呉広(ちんしょう・ごこう)の乱を始めとして農民反乱が広まります。有名な言葉が残っていますね。「おまえは農民の分際でなんで反乱なんか起こすんだ」と言われ、これに応えて「燕雀(えんじゃく)いずくんぞ鴻鵠(こうこく)の志を知らんや(注:陳勝の言葉で、燕や雀のような小さな鳥(農民)にどうして鴻鵠(自分)の大志がわかろうか)」。そういう有名な言葉を残した農民反乱が起こって、それがきっかけとなり、全国に反乱が拡がります。最後は、項羽(こうう)とか劉邦(りゅうほう)という南の楚(そ)と言われている長江流域の国から起こった武将が秦を滅ぼしてしまいます。

で、最初は項羽が覇権を握るんですけれども、202年には項羽が劉邦との戦いに敗れて死んじゃって、劉邦が漢という国を作りますが、劉邦は楚の国の出身ですから、ここで初めて南方人が中国を仕切ることになります。それまでの中国は、夏にしても商にしても周にしても秦にしてもぜんぶ西北から来た人がヘゲモニーを持っていたのですが、漢の劉邦というのは項羽と同じ楚の出身…「四面楚歌」の歌が有名ですね、長江流域出身の豪族と云っても農民と大差はなかったと思うのですが、南方人が初めて王様になったというのが漢の国ですが、南の人は気候が穏やかで一般的には喧嘩に弱いですから、劉邦は匈奴と衝突してあっという間に包囲されて降参しちゃいます。それで「匈奴の言うことをなんでも聞きますから許して下さい」ということで、漢は実質的には匈奴の服属国として産声を上げます。

また、劉邦は若いころから怠け者だったと云われています。要するに郡県制というシステムはまず皇帝が必死に働かなくてはなりませんから、始皇帝は中国の三大ワークホリッカーの1人と呼ばれていますね。宋の太宗(たいそう) - 2代皇帝ですね - 、清の雍正帝(ようせいてい)、秦の始皇帝の3人が三大ワークホリッカーと言われていて、朝の5時から夜の12時頃までひたすら仕事をしていたとかいう風に言われていますけれども、劉邦は田舎の出身ですから郡県制なんてとてもじゃないがやってられへん、ということで、親族を地方の国王にしてゆったりした郡国制という体制をとります。でもそういう親族も、時代が経てば皇帝も俺たちも、もともとみんないとこやないか、なんであいつだけ皇帝で偉いんや、ということになり、呉楚7国(ごそしちこく)の乱というのを起こすんですけれど、すぐに鎮圧されます。

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2011年5/22(日)に開催された、ライフネット生命出口社長による『中国4000年の歴史セミナー』の続きです。

今回は「秦漢帝国」のお話。

ところで、最近「カンブリア宮殿」見ましたか?7/14に放送された番組で、この講演の講師をやってくださった出口社長が出たんですよ。講演では歴史の話以外してなかったので危うく忘れるところでしたが、やっぱり本業は生命保険会社の社長だったんですね。(番組は今ならストリーム画像で見れるみたいです。紹介ページはこちら。直接動画に行きたい人はこちらへ。)

さあ、それでは本題の歴史講義に移りましょう!


政による全国統一(始皇帝)
BC221年、秦王、政(せい)の手で中国は統一されました。政は統一後に伝説の「3皇5帝」から皇帝号を創出し、自らを始皇帝と称しました。そして郡県制と言って地方の王様は全部始皇帝が任命して、中央政府から官僚を派遣する、それで2、3年で首にする、という制度をあれだけ広い国にきちんと浸透させたわけですね。それだけのことが執行できる官僚が育っていたということですけれども、この始皇帝が作った枠組みが、中国をこのあと2000年以上の長きにわたって、この体制のまま生き延びさせることになりますので、始皇帝は、中国という統一国家のグランドデザイナーそのものだと思います。政の最後のライバルは山東半島の斉という国でした。その国を破って統一したわけですが、その国は太公望呂尚(西周建国時の功臣)から長く続く国で、その国の祭祀の中心は泰山(たいざん)という山だったわけですね。この泰山で封禅(ふうぜん/ほうぜん)と呼ばれている儀式を行って、天に改めて皇帝が祈る、俺が中華帝国の新しい親分だぞ、ということを天の神様に祈るという儀式を始めたのが始皇帝で、このあと中国の有名な皇帝は全部、この封禅の儀を「やりたい、これをやることが名皇帝の証だ」ということになりますが、封禅は何かと言えば、自分が最後に打ち破った斉の神様を手厚く祀った、ということですね。俺はもう全中国を治めたんだから、祟らないで下さいよ、その代わり手厚く祀ってあげますからね、と。これ以降泰山は中国の五山 ― これも五行説からですね ― 五つの有名な聖なる山の中で、突出した高い地位を持つようになります。共産国になった今でも泰山は有名ですね。泰山に登った人?(手をあげる人はいない…)ぜひ皆さん登ってください。ちゃんと階段がついていて誰でも登れますから。
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図:泰山

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2011年5/22(日)に開催された、ライフネット生命出口社長による『中国4000年の歴史セミナー』の続きです。

今回は「諸子百家の棲み分け」と「五行説」のお話。

五行説というのは、このころからあるものなんですね。シンプルで分かりやすいものってのは、時空を超えて続くものなんですね。


諸子百家の棲み分け
孟子と同じ頃に荘子という人が活躍して、老子が始めた一般には道家、道教と呼ばれている考え方を集大成します。胡蝶(こちょう)の夢とか、大鵬(たいほう)の話とか皆さん、よくご存知ですね、一種の実存主義のようなインテリの考え方です。これまでは、諸子百家の中では法家がいて道家がいて、儒家がいて、墨家がいて、色んな考えの人がいる様に見えて、それぞれが争っていたかのような錯覚があるのですが、実はそうではなくて諸子百家は棲み分けていたのではないかという考え方が現在では有力なようですね。

法家…中国の政府の官僚、即ち、実際に世の中を動かしている人は、一貫して法家です。法律で統治しなければこんな広い国は持たない、と。これは長い中国の歴史の中では微動だに揺るがない考え方です。現在でもそうではないかと。
儒家…儒家は高度成長を肯定し、祖先のことを敬うわけですから、王様の建前としては、都合の良い考え方ですね。本音である法家ときれいに共存できます。
道家…じゃぁ道教は何かと言えば、野にいる知識人のいわば趣味的・高踏的な考え方ですね。野にいる知識人が、王様とか官僚を小馬鹿にして、道家思想の夢に遊んだというわけです。
墨家…墨家は高度成長を否定したエコ思想の先鞭をつけたどちらかといえば、小さい国の方がいいという秘密教団的なグループです。

以上のように、諸子百家というのはお互いに論陣を張って自分たちの言っていることの方が正しいと正面から争ったわけではなくて、おそらく、それぞれの布教対象を初めからある程度決めていて棲み分けていたと考える方が実態に近いように思います。

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2011年5/22(日)に開催された、ライフネット生命出口社長による『中国4000年の歴史セミナー』の続きです。

今回は「易姓(えきせい)革命」のお話。

この「易姓革命」という言葉が、僕の歴史観を完全に覆しました。この言葉が、この歴史セミナーで最も勉強になったことの一つです。言われてみればそりゃそうだという話なのですが、今までは意識したことがありませんでした。


胡服(こふく)の採用
その頃(BC307年)、北にあった趙(ちょう)という国の武霊王(ぶれいおう)が胡服(騎射)を採用します。これも極めて大きい出来事ですが、要するにズボンを穿いたということです。なぜか?中国古来の戦車では、馬にのって戦争する中央アジアの異民族(胡)と幾ら戦っても勝てなかったからです。だから胡服を採用するということは、胡人と同じようにズボンを穿いて馬に乗る練習をしなければ、北の民族とは幾ら戦っても勝てないということで、この胡服を採用したということは非常に大きいエポックメーキングになります。この頃には匈奴(きょうど)と呼ばれている草原の大国家、中央アジアには最初「スキタイ」という大国家があり、それを滅ぼした匈奴という新しい大国家の影響力が中国に及びつつあったということの象徴でもありますね。

易姓(えきせい)革命
BC289年には孟子が没します。彼は孔子と同じように「大臣にしてくれ」と各国を回るわけですけれども、孔子のころよりもさらに七国は官僚機構が整っていますから当然聞き入れられるはずもなく、野賢として一生を終えるわけです。孟子は孔子の天命の理念を更に発展させて中国の基本的な考えの1つである「易姓革命(えきせいかくめい)」と呼ばれている革命理論を生み出しました。

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2011年5/22(日)に開催された、ライフネット生命出口社長による『中国4000年の歴史セミナー』の続きです。

今回は「高度経済成長秦の台頭」のお話。
経済というのは今も昔も根底は変わらないのですね。いまを理解するうえでも歴史を学ぶことの意義は大きいですね。


高度経済成長と儒家・墨家
もう一つ覚えておいてほしいことは、高度成長経済の象徴が何かと言えば、それは公害です。公害の典型が木を切り倒してはげ山になって生じた大洪水です。孔子はどう考えたかといえば、孔子はもともと楽観的な人ですから、「天命に立ち戻っていい政治をすればいいんだ」と。「高度成長経済は当然だ」と現状肯定的に考えるわけです。なんでこう考えたかというと、孔子は天命を知ったわけですから、祖先をものすごく大切にするわけですよ。ということはお葬式もものすごく豪華、丁寧にやるわけです。さらに儒教は喪に服す期間が3年でしょう?3年間喪に服しているわけですからその間お金もかかるわけです。お葬式を盛大にやって3年間も喪に服していようと思ったら、お金がなかったらできないでしょう。3年間喪に服すということはその間働かなくてもご飯が食べられるということですから。

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