ライフネット出口社長による「中国4000年の歴史セミナー」(2)

2011年5/22(日)、ライフネット生命出口社長による『中国4000年の歴史セミナー』が開催されました。

本当に素晴らしい講演だったので、当日参加できなかった皆さまも含め、ぜひ多くの方にこの内容を味わっていただけたらと思い、講演内容の書き起こしによる再現をしていきます!(完全に再現できない部分もありますが、その点はどうかご了承ください)

お待たせしました。それではさっそく、はじめましょう!
まずは第1回、
黄河文明についてのお話です。以下、出口社長の講演内容です。

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◇  ◇  ◇

神話と歴史の違い
最初に、「神話と歴史はどう違うのか」ということを簡単にお話ししておきたいと思います。

「歴史」というのは簡単に言って「文字によって記録が残っているもの」と考えてください。文字によって記録が残っているものですから、その資料が確かであれば、ほとんどそれは事実と見なしていいと思いますね。これが歴史です。

ちなみに、漢字で言えば「歴」という字は、確か、軍隊が行軍していくさまの記録です。
「史」というのは、色んなことを神さまに祀(まつ)って、その記録を示したものですね。昔は祭政一致(さいせいいっち)ですから、国の主な出来事はまず神さまに最初にお伺いをたてて、それでよく戦争をやっていましたから、以上が歴史の大本になる、漢字の歴史というのはそういう意味があるんですね。

次に、「神話」というのは何かといえば、これは「記録に残っていない、伝承によって語られた物語」ですけれど、神話の特徴はですね、古いものほど新しいということです。これは、えっ?と意外に思われるかもしれませんが、皆さんがよく考えてみたらすぐに分かることです。
皆さんが自分の一家の歴史を書こうとします。
自分から始めますよね。
その次は? お父さんお母さんでしょう?
その次は? おじいさんおばあさんでしょう?
でもその次になると? もう分からないでしょう?
だから、古いものほど後から適当に想像して書かれるわけで、だから、記録がないものは一般に古いものほど新しい。日本の例えば古事記・日本書紀でいえば、神武天皇なんていうのはもうでっち上げで、後から作ったものだということは皆さんもう知っていますよね?
それは、そういう構造が働くからなんですね。

今日は、「神話」ではなくて、中国の「歴史」の話をします。


人間は交易によって豊かになる
世界史すなわち人間の5000年史を理解する上で、『人間の歴史というのは「交易」―貿易ですね―、交易によって豊かになる』というキーワードを是非覚えておいて欲しいと思います。



交易によって豊かになるとはどういうことかといえば、生態系というのは実はものすごく貧しいわけですね。ちょっと意外に思われるかもしれませんが、一つの地域の生態系というのはその中にある経営資源を全部使って動植物が住み分けているわけですから、ほとんど無駄がない、ということは実は貧しさと同じなんですね。例えば日本は、倭(わ)といわれていたこの国は、最初は畑作のようなものをやっていたんですが、畑を耕すのに鉄がありませんから、木で一所懸命土を掘っていたんですね。これは、かなりしんどいでしょう?
でも鉄が朝鮮半島の南にあって、そこから鉄をもらってきてスコップとか鍬(くわ)のようなものを作れば、簡単に農業の生産性が上がることが容易に想像できますね。
人間は交易によって豊かになってきた歴史を持っているのです。交易が歴史を紐解くキーワードなんですが、この交易には2つの大きいグループ(分類)があります。

一つは、平たく言えば商売です。
要するに、鉄をもらう代わりに「じゃ、麦を出せよ」とか、あるいは「お芋をあげるよ」とか。これは普通の商売ですね。

でもう一つは、古代によくあったんですけれども、要するにプレゼントです。
例えば、偉い人が国を創る、ものすごくえらいとかお金持ちの国がどこかにできたとすると、周囲のみんなが自然に集まってきますよね。「どれだけ偉いのか見てきてやろう」とか、「行ったら何か美味しいものをご馳走してくれるかもしれない」とか。
それで、周辺から来た人は、遠くから来ましたが、立派な王様がいるときいたので訪ねてきましたとか何とかいって、ちょっとした手土産を差し出す訳です。すると王様は「よしよし」といって大体それ以上に立派なものをお土産に返して持たせて上げるというのが、人類の普遍的な交易の1つの形となるんですね。これを、威信財(いしんざい)交易と言っています。


二里頭文化 黄河文明のあけぼの
威信財というのはたぶん漢字で書けばすぐその意味が分かると思いますが、権威の威ですから、要するに、こんなに立派に見えるものを王様からもらったら嬉しいという風なものが威信財になるわけです。中国には、黄河や長江、珠江流域などに9か所前後、新石器時代の文化が栄えた地域がありました。後日、それが九州と表現されるようになります。その中で、黄河中流域の二里頭文化が台頭してきます。この二里頭(にりとう)文化がどうして9州の中で突出してきたのか?と言えば、中国で有名な玉器(ぎょくき)がありますね。玉、平たく言えば翡翠(ヒスイ)などの硬玉で作られた威信財のことです。そういう玉器や青銅器の元の形になった威信財を、この二里頭の王様が方々にばらまいていたらしいということが裏付けられるからです。それから、甲骨文字の原始形態にあるような文字の破片も散見されます。この二里頭文化が、おそらく、伝説の聖王、禹が創建した夏(か)と呼ばれた国であって、中国の9つほどあった新石器時代の有力な文化圏の中で、二里頭を中心とした黄河中流域が、先頭ランナーになって走り始めたのがBC1900年前後のことです。

要するに、黄河文明のあけぼのが始まったわけです。


黄河文明はなぜ他の4大文明に劣後したのか
皆さんは、昔、四大文明って習いましたよね?
・シュメールがだいたいBC3500年くらい
・エジプトがBC3200年ぐらい
・インダス文明でもBC2800~2600年ぐらい

黄河文明が一番遅いインダス文明にさらに1000年近くもどうして遅れたのでしょうか?

昔は、四大文明それぞれが独立的にバラバラに成立したと言われていたんですが、現在では、それはちょっと違うのではないかということが分かってきています。シュメールの刺激を受けてエジプト文明が成立し、インド洋を通じて、シュメールとの交易を介してインダス文明が生まれたわけで、この3文明は密接な関係があるということが挙証されています。何でそれが分かるのか?簡単です。インダス文明の遺跡で、シュメールの遺物が出てくるからですね。逆もまた然りで、交易をしていたということが立証されるわけです。実は黄河文明が遅れたのは、海がなかったからです。陸よりも海のほうが、古代の人にとってははるかに行き来が簡単だったんですね。
大きい船を考えれば大変ですが、小さい丸木舟で陸伝いに行けばどこへでもいけますね。だから、交易というのはシルクロードの幻想があるんですけれども、実は、人間にとっては海のほうがはるかに動きやすかったということを考える必要があると思います。

およそ20万年前に生まれたホモサピエンスと呼ばれる私たちの先祖が始めてアフリカをでてユーラシアに広がっていったのも、アラビア半島沿い、海沿いだったということが今では挙証されています。黄河文明が遅れたのは、ひとえに西アジアの進んだ文明が砂漠や草原を通じてユーラシアの東の方に到達するまで1000年かかったということです。こういう風に考えれば、黄河文明が四大文明の中で時期的には一番遅かったということが、簡単に理解できるような気がします。

ただ黄河文明の最初のランナーである夏は、文字の原型めいたものは散見されるのですが、きちんとした文字を残さなかったので、これがどういう文明でありどういう国家制度を持っていたかということはよく分からないわけです。ただ夏という文明が9つの中で抜きん出てあったということは、現在では、考古学的にほぼ間違いないといわれています。


◇  ◇  ◇


次回へと続く・・・


以上。


※なおこの「中国4000年シリーズ」は、出口社長が講演で話した内容をそのまま再現したものですので、無断での転載・商業利用などはご遠慮下さい。講演内容は、このまま本にできちゃうくらいの内容ですが、勝手に出版とかしちゃダメですよ。トラックバックやリンクなどはもちろん自由にしていただいてかまいません。
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